学校へ行けなかったわたしへ

ひとりごと

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学校に行かないのは許されない

いまや、、立派な中年太りのおばちゃんとなりましたが・・

まだ純粋で気が弱く内気だった小学生から中学生の頃には

学校が嫌いで嫌いで辛かった、しんどくて仕方なかった‥楽しい学生生活とは無縁だった

そんなミッチェルおばちゃんの、、あの頃のわたしのお話です

あの頃のわたしは、一日一日を生きることが精一杯だった

今でこそ、、学校に行けない子どもたちへの理解や支援がありますが

あの当時は、あったのかな・・とにかく親が理解してくれることなど不可能でしたから

毎日学校へ行くのが当たり前、、学校がすべてのように感じていました

最近言われる\登校拒否/ いや拒否とかいう言葉は違う気がします

単純に行けない。。。行きたくない ☚☚これこれ

内気で集団生活が苦手だったのでしょうか・・自分に自信がまったく無かったんです

一人が好きだったというより・・一人で居るしかなかったが正解な気がしてます

同級生との関わり方が分かりませんでした・・友達とは何なんだろう???・・

よく仲間外れにされたり・・心無い言葉を浴びせられたりもしました

勉強も全くダメ・・いえ覚える気がなかったのかもしれない・・

授業での先生の説明も・・日本語ではなくて訳の分からない言葉のように思えました

何を話されてますか~~みたいな感じだったかな・・授業中に座ってるだけが精一杯

何のために学校に行くのか・・分かりませんでした・・

それでも、母親は学校に行かないのは罪のごとくに・・話も聞いてくれない・・分かってくれない

娘の苦しみを、受け止められるような母親ではなかったのでしょう・・多分そうなんだ

母親にも、余裕が無かったんですよね・・おそらく・・そうだと思います

あの母親の冷たい態度はいまも頭の片隅から離れません

やせ細っていたわたしへ

学校へ行かない選択は許されないから・・

自分の気持ちを押し殺して、無理して学校に通ってましたね

だけど、ついに身体が悲鳴をあげてしまいましたよね・・

そう・・ご飯が食べられなくなりましたよね・・

中学生になってから・・周りの変化についていけなかったのかもしれません

\\\受験///が何かも全く分からない状況

ある時、、このクラスで、いちばん勉強が出来なくてバカよねとクラスメートに言われましたね

でも事実だったから・・そうだよと認めたこともあったね・・

自分はバカだし勉強なんて出来ないと自覚してたからね~~

くやしいとか腹が立つとか一切無かったですよね・・そんな気持ちになることさえ無かったね

あの時は、身長が160㎝・体重が最悪の時は35㎏~39㎏になりましたよね

よく生きてたなって・・

高校もやっと卒業したけれど・・高卒を惨めに思う必要はぜんぜんないんだよ

だって、あなたは30代~60代になると、、大学卒業した人と一緒にバリバリ働くことになるんです

人間は、コツコツと努力を重ねれば、いつかは報われる日が来ると自分で知ることになるんだよ

いじめられたからこそ、強い人にもなれたと思うよ・・

人生を諦めなくて良かったそう思う日が来るんですよ!!

母親の気持ちは理解してるつもり

そりゃあ、自分が親になったときにめちゃくちゃ分かりましたよ~~~~

自分の子どもが勉強出来て、才能がある方が、、うれしいよね・・当たり前だね

我が子が勉強は出来ないし・・学校に行きたくないとか体調不良をグズグズ言われたら

母親にとっては情けないし、嫌にもなるよね~~そこは本当に理解してるんだけどね・・

だけどどうしても、納得が出来ないこともあります

最終的に・・困ってる私たち(母娘)を助けて貰えませんでした・・自分の娘と孫なのに・・

そのことだけは許せなくて・・そして実家に行けなくなりました

それから、母親にはしばらく会っていません・・親不孝だとも分かっています・・

ですが、、、今はまだ、、、《母親を許せない自分を許す》ことにしています

もう・・分かりあう日も来るかどうかは分かりませんが・・

すべて運命に任せる・・ことにします

おまけの話

小学校時代の、、息子の話が面白かったのでお話させて下さい

『何で学校に行くのか分からなかったよね、授業もよく分からないし』と息子に言うと

俺は小学校一年生の時は、授業中ずっと寝てた記憶がある、それで給食の時間になると

後ろの席の人が起こしてくれて、給食の時だけ起きてた』らしいです(笑)

そう言えば・・息子がまだ赤ちゃんの頃に行った、ラーメン屋の年配のご主人が

この子は大物になるよ』と言われたことがある~~これの事だったのか~~

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